本とデジタルデータと<読む>という行為

本日も「腐女子の行く道、萌える道」の記事より。

ちょっと古い(去年のだね)けど、本のデジタル化、という記事について。
たまりにたまった本をスキャニングしてデジタルデータにする、というお話。

腐女子の行く道、萌える道:【炊き】夢中すぎ【まくり】
山になった本を捨てる事が出来、本の黄ばみも修正可能。
デジタル化すればCDに焼いて保存。
少しばかり手間と根気がいりますが、
慣れてしまえば本の整理にとても有効な手段かと。

私も本がたまりにたまってるので、まぁそんなに好きでもない本は売るなどして処分してるんだけど。
でも、処分するよりも増える本(毎月5冊くらいは軽く買ってる・・・)の方が多くて置き場所に困るんだけど。
どうしてもデジタル化する気になれないんだよね。

確かにデジタル化すると場所取らなくていいんだけど。
CDじゃなくてDVDに焼いちゃえば、更にスペース効率よくなるのはわかってるんだけど。
デジタル機器大好き小僧の私としては、普通なら飛びついてもいいような話なんだろうけど。

確かに、最近は電子ブックのビューワーなんかもちょびちょびと発売されはじめてるし、
web上でPDFで書籍のデータを販売してる本屋さんなんかもある。
データの方が書籍が古くなるの防げるし破けたり虫食いすることもない。
更に言えば、環境問題であれこれ言われる事もない。
デジタル化ってのは保管方法として最適だとは思う。

それでも・・・

本を読む、という行為と。

デジタルデータを読む、という行為と。

同じ<読む>という言葉ではくくられるんだけど、
私の中での位置付けが違うんだよな・・・

なんていうんだろ、モニタに向かってると、
どうしても<読む>というよりも<眺める>とか<見る>と言うほうがしっくりくる感じ。
<本を>読むっていう場合、読んでいるうちにその本の世界に引き込まれていく事も含まれるわけで。

モニタとか電子ブックのビューワーとかっていう、機械を仲介してしまうと、
どうしてもその感覚が得られない気がしてしょうがない。
紙媒体であることで得られる感覚ってあると思うんだよね。
紙の匂い、手触り、ページをめくる行為、あと本の重量(^^;)、とかね。

そんなに紙媒体で読みたきゃプリントアウトすればいいって人もいるだろね。
でも、それは本じゃなくて「ただの印刷された紙の束」だし。
書類を読んでるみたいじゃない?

それに、紙に出力したあと、その紙は今度どうするの? 捨てちゃうの?
それじゃあ今度は何のためにデジタルデータにしたの?って事になって、本末転倒じゃん。

他の人がデジタル化をする事を否定はしないけど、
本を本の形として読む事に快感を得るタイプの私は、
どんなに中身がおバカな本だったとしても、やはりデジタル化をする気になれないなぁ・・・と思うわけ。
そういう意味では旧タイプの人間なのかしらん?

だから、邪魔になった本を処分して、またその処分した本が読みたくなったからって買いなおす、
って言うおバカなことを繰り返しつつ、私はこのまま本に埋もれて生きて行くですよ。

ある意味、京極堂(by京極夏彦)の生き方って理想かも・・・

本とデジタルデータと<読む>という行為” に2件のコメントがあります

  1. 本を本として愛するって事だよね。
    気持ちはわかるよ、ワシもそう。
    電子ブックって味気なくて。
    本を読んで、閉じて物思って又開く。
    其れが読書ってモノだよ、(‾ ‾) (_ _)うんうん

  2. うみゅ、あーだこーだ書いてはおるが、
    端的に言えば、そにっくが言ってることで終了(^^;)
    ページをめくる行為にこそ、読書の意義があるのかもしれん。。。

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