ブログと祭りとネットの良識

デジタルAREANAで興味深い記事がありました。
インターネットの危ない話というコーナーで現在連載中の以下の記事。

ブログに記した内容が原因で発生する「祭り」が急増している。
 「祭り」とは、巨大掲示板「2ちゃんねる」上で、特定の事象や事件に関するスレッドにユーザーが集中し、激しく盛り上がっている状態を指す言葉だ。
 以前からさまざまな団体や個人を対象に繰り広げられて来た「祭り」だが、最近はブログサイト中の記述が原因で「祭られ」てしまう個人の例が増えている。そして昨今、「祭られ」てしまった人は、実生活にも大きなダメージを受けることになりがちだ。

ブログで自滅する人々(第2回)〜「祭り」はこうして進行する / デジタルARENA
ブログで自滅する人々(第3回)〜彼らはなぜ「祭られた」のか? / デジタルARENA
ブログからいわゆる「祭り」に発展する経緯及び原因に対する考察です。
まだ記事としては終了してませんが、中々面白いのでご紹介。
特に新米ブロガーさんには読んでもらいたいかなぁ。


特に、第3回のここと、

もし「ブログ」の何かが問題なのだとしたら、それを利用することで簡単に「Webサイト(らしきもの)」を作れるようになったことと、そこは「日記」もしくは「自らの見解」を公開する場所だという誤解が蔓延していること、さらに言うなら、あたかも「プライベートスペース」であるかのような錯覚におちいりやすいことではないだろうか。

ここ。

いわゆる「ネット・リテラシー」的な事柄にまったく無頓着なまま、いとも簡単にサイトを構築でき、運営できてしまう。このこと自体が両刃の剣であり、罠なのだ。

web上に自分のスペースを展開するというのは、例えパスワード制限をかけていたとしても、
人に読ませることを選択した時点でプライベートではありえないんですよ。
オープンスペースの場合なんか完全に不特定多数の人の目に触れるわけだし。
となれば、自ずから書いていいこと、悪いことっていうのは判別できる筈なんですけどね。
上で紹介した記事の記者さんじゃないけど、これを勘違いしてる人がどうにも多いような気がしますわ。
どんなにネットの片隅でひっそり生きてるつもりでも、検索エンジンでいっくらでも引っかかってくるわけだし。
そこら辺の対策を怠ってる時点で、見つけられることは最初から覚悟しておけ、と思うのですよ。
 #更に言っちゃえば、トラバ送ったりしてる時点でもうダメじゃん
携帯で手軽にネットが見られるようになって、ご家庭に最低1台パソコンが普及するようになって、
ネットが子供のおもちゃになったあたりから、こーゆーエゴ丸出しの傾向は著しい気がするなぁ。
誰でも手軽に情報発信できる事が悪いとはいわないし、もちろん全部が子供だと思ってるわけでもない。
だけど、、、なんつーのか・・・もー少し良識持って欲しいと思うのは私がトシ取ったからなんかねぇ・・・
おとと、たんなる記事紹介のつもりで、余計な感想書いちゃいましたな。
失礼いたしました(^^;)
んでも、ほんとにそう思うのよ、ここ最近・・・

ブログと祭りとネットの良識” に4件のコメントがあります

  1. ネットの上は「公道」でもある。そこで非常識な言動を繰り返していれば、いつか必ず「事故」が起こる。
    この言葉、納得です。
    だけど現実の公道でも、歩道を走行する小型自動車、
    自転車も車両であると認識してない暴走自転車が多いよなぁ・・・
    性善説は少数派なんだろうな。

  2. インターネットの匿名性を盲進したり、にちゃんを烏合(うごう)の衆と勘違いしたり。まぁ、そういう時代への過渡期だからしかたない。
    小学校もWindowsなんかではなく、この辺の教育とかもしてかないとまずそうね。自転車教習のように。
    それでも、すでに「キンモー★」とかやっちゃった世代に対しては手遅れなわけだが。
    この手のリテラシーが確立された ん十年後に、この手の逸話は、信じられない失敗談として紹介されたりしてな。

  3. ネットについて勘違いしているのは確かだと思うけど。
    そもそも、事故を起こしかけた(本人談)だけの相手を車から引き摺り下ろして、土下座させ尚且つ相手の車のエアロを破壊したり、自分からバスの運行を故意的に邪魔をして罵声を浴びたのに、謝りにきたバス会社の役員を叩く様な、過去に女を暴行したことを得々と語れる人間性そのものに問題があると思うよ?
    ワシは性善説を信じてるけど、それは無条件にいい人間しか居ない事を意味しないと考えるな。
    結局、性が善か悪かは大きな事じゃなくて、人たるべく努力するか如何か、其処がいい人間か、悪い人間かの違いにつながると思う。

  4. うーん、なんかみんな性善説の意味を取り違えておるような気が…
    性善説と性悪説の違いをもう一度辞書で調べなおしてくれたまい。
    まあ結局の所、個々人の資質の問題(先天的なものか後天的なものかはさて置き)がまずあるわけだ。
    これは、言っていい事とかの話じゃなく、「やっていい事と悪い事」のレベルなので、もう根本的な問題ね。
    でもってその次にネットの常識というか良識みたいなものが来る。
    だけど、最近は個人のそういう判断力が低下している上に、そういうリテラシーに対する理解力すらないので、ダメダメで自滅する人が増えてる、と。
    ちなみに第4回目の記事では「祭りが場合によっては抑止力になる」みたいな事が書かれてた。
    実は私も同じ事思ったりしたんだよね。
    佐世保小の事件とか、タリウム事件とか。
    もっと早く誰かが見つけて祭りにしてたら、ブログごと潰されて事件起きなかったんじゃないかな、と。
    ただ、自己顕示欲旺盛で変にプライドが高い人間の場合、
    祭りが逆効果になるから諸刃の剣だなぁと。
    最近多発してる少年事件てなんかエスカレートしてる気がすんだよね。
    ただ、これも「親」の問題なのか「学校」の問題なのか「社会」の問題なのか、それとも日本人そのものの問題なのか…
    なんかよくわからんくなってきたよ、わし。

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